▼楓さん:
他人の意見等ということでしたので、コメントさせていただきます。
私は、愛情というものに性別なんてものを取り付けたのは、人間の勝手な想像だと思います。男性が、女性を幸せにする。それは、確かに、男性と女性の本質を考えた時、お互いに補い合うことが出来るわけですから重要なものだと思います。しかし、愛情というのは『子孫を残す』ことに起因して起きるわけではないと思っています。それは、愛情とは、お互いに思いやり、お互いに成長しあい、お互いに尊重しあうことにこそ意義があると考えているからです。
それと、同性愛者のメリットが、あまりに軽薄に思えます。欲求を満たすのではなく、それでは欲求に操られている。ということではないでしょうか。確かに、同性愛者の性に対する意識は軽いです。でも、私はその考えそのものが間違いだと考えています。
私の考える同性愛者のメリットは、愛情の多様性を考えることが出来る立場にあるということ。そして、社会的に少数に立つことによって、多数派にいるときには解からない、社会の問題点に気付きやすくなる。という点だと思います。
それに対してのデメリットは、現代社会においては社会参画が難しい。そして、自由恋愛の結果を享受することができない。これは、結婚もそうですが、二人きりで生活し続けるには周囲の目がありますし、死ぬときの遺産分与に関しても、養子縁組でもしない限り、とてもではありませんが、同性愛者のパートナーには権利がない。ということでしょうか。
そもそも男女間で上手くいくように出来ているか。といえば、実はそうではないように感じます。異性愛者は、子供を作るという名目、そして子育てという義務が必ず付きまといます。ですから、嫌でも家庭を持つ。そして、その結果妥協しあい、譲り合ううちに成長し、素敵な老夫婦にまでなる方がいる。それに対して同性愛者は、子供を作る能力は無い。そして、代理出産に関しては、私は反対なので、自分の遺伝子を残すことは不可能、と、一応しておきます。そして、何よりも父性、そして男性としての本質しか持ち合わせないわけですから、S極とS極のように反発してしまうようなものがあるのかもしれません。しかし、それらを乗り越えるのが、人間の理性と愛情の力ではないでしょうか。
得体の知れない愛。でも、それは異性愛者にも溢れています。巷には、様々な漫画や雑誌などに載っている似非見識者による悪魔のような愛情が溢れかえって跋扈している始末。このような状況で、確かな愛を知って欲しいというほうが難しいのかもしれません。でも、愛情というものは、そこまで狭く小さな、そして力弱いものではないのだと私は思います。
ただ、実は同性愛者の性欲が強く、そして、セックスを求める。というのは、強ち間違いではないのだと思います。これは、人間の三大欲求ですから、その1つの性欲を満たすために、そして子孫を残さないために同性愛者が生まれた。というのは、ひとつの仮説として成り立つのではないでしょうか。であっても、愛情というものは、それを乗り越える力を持ち合わせているとは思いますが。
確かに、代理出産にこだわること、そして、同性婚にこだわることは、私には理解できません。重要なのは、同性愛者の差別がなくなることと、異性愛者が自分達が正常で唯一の正しい存在であるという固定概念を無くさせ、自分達の思い上がりを消し去ることだと思います。ただ、人間至上主義という言葉があるように、同性愛者にも、様々な問題があります。それを乗り越えるには長い時間が必要だと思いますし、残念ですが私達の一代でそれが終わるとは思いません。
同性愛者でも、異性愛者でも、話しは変わってしまいますが、自分の一代で自分が幸せになろう。と、思うのではなく、次の世代により幸せになって欲しい、そのための礎になろう。という、思いやりや、そういったものが欠けているのだと思います。それを得られた時、同性愛や異性愛の議題なんて必要なくなるのではないでしょうか。 JING