小さい頃に両親の別居を経験してる自分は、やたらと人の顔色をうかがうようになった。
元来がムダに気をつかってしまう気質だったから、ありがちな嫁姑問題も、父母の両家の不仲も、全てが小さい頃の自分にシビアな傷跡をつけた。
よく両親からされた質問に、「お父さんとお母さん、どっちが好き?」というのがあった。
今にして思えばなんてことのない質問だけど、
この質問が大嫌いだった。自分の答えが亀裂のきっかけになるかもしれないと思うと、子供ながらにプレッシャーを感じた。
大袈裟だと思われるかもしれないけど、そういう雰囲気を当時はしばしば読み取った。
だから自分は小学生ながらにストレスで何度か体調を崩したりもしていた。
とにかく、私が八方美人になってしまったのはこの頃だった。
結局両親は中学に上がって少ししてから離婚した。
今では珍しくも面白くもない話だけど、当時思春期だった自分はやはり離婚を友達に打ち明けることができなかった。
母が出ていくと私に打ち明けた翌日も、私は無理して学校に行った。
家庭内の異変を誰にも悟られたくなくて、私は友達と心理的に一線を引いて付き合うようになった。天然を装って、心を鎧った。
ありていに言えば「なに考えてるか分かんないヤツ」になろうとした。
そうして気まずい家庭の雰囲気も、自分が気をつかうことで明るくして行けば良いと考えた。
だから私は本音を隠して、家族にも心理的に一線を引いて付き合うようになっていった。
でもそれで良いと思っていた。自分さえ我慢すれば場が明るくなるから、むしろそれを誇りに生きてきた。最近までは。
自分の致命的な欠陥に気付いたのは付き合っていた彼にフラれてからだった。
最悪なフラれ方だった。
短い間だったけど、今もかなりひきづっている。
私は彼に甘えることができなかった。
というより、甘え方が分からなかった。
考えてみれば、第一次反抗期も、第二次反抗期も、両親の離婚問題で音沙汰なかった私には、甘えた経験がほとんどなくて、そういう意味では可愛いげがなかったんだと思う。
甘えるってなんだろう??どういう行為が甘えの行為なんだろう?
私には本気でそれが分からない。
結局多少顔がよくても、甘えられない自分がいる限り、きっと同じことを繰り返す。
今はこの欠陥は絶望でしか考えられない。
この欠陥を抱いて行きていくことに、最近とても不安である。